1年以上もここに何も書いていなかった。たまにInstagramは更新していたけれど、日々に追われ、サボり自分と向き合うことを忘れているのかもしれない。
2004年の6月に知念紅型工房で働き始めました。 その少し前の 5月のある日、たまたま出会った知人の紹介を受けて、知念績元工房へ行きました。びんがたと言うものをやりたくて沖縄に来たこと、ずっとそれを続けていきたい事、本土では学ぶチャンスがないからぜひ沖縄にて学びたいと思っていること、京都のほうは分業であるらしいが、沖縄の琉球紅型はデザインから 染めの最後の工程まで1人の作り手が行えること、それが自分にとってとても魅力的に感じているので、是非びんがたをやりたいと繰り返し訴えました。

後から思うと、穏やかで優しくて口数の少ない先生は小うるさい若造を断ることができなかったのかもしれない。そして私は”来月から来ても良い”と言うお言葉をいただき、運命の出会いをしました。
その先生が4月12日に逝去されました。
出会ってから21年経っていますね。 びんがたと言う工芸と型紙や顔料を使うという事は書籍で知っていたけれど、びんがたのことを何も知らなかった私にびんがたの一つ一つを、1から教えてくれました。 告別式の前の夜はたくさんのことを思い出しながら先生へお手紙を書きました。6年9ヶ月の知念紅型工房で働かせていただいて、本当に生意気だったと思うこともあります。退職の時、私は当たり障りのない感謝の言葉を伝えたはずだけど、心にあったことはあんまり言葉にできませんでした。 その時伝えられなかった言葉と、後から送りたいと思って書けなかった気持ちをやっと書けました。 天国で読んで下さい。
昨年末はずっとやりたかった知念績元先生の展覧会を開くことができました。知念家の皆さんにやりたいですと言い始めてから3年ぐらい経ってしまっていたけれど、無事開催できた事は感動そのものです。それについては、また後日、こちらにも書いていきたいと思います。

ずっと一緒に仕事をした先生の奥様の妹さんであり知念績元の一番弟子の金城恵さん。同い年だけど、私よりずっと先にびんがたを学び始めていた戸谷真子さん。 ともにびんがたに携わって生き続ける仲間は、先生からいただいたギフトです。